桜舞う「君の名は」の舞台を彩る古川祭 2020‼
【早割りセール】表示価格から10%OFF!!
飛騨古川は2016に世界的ヒットを記録したアニメ、「君の名は」で一躍脚光を浴び、映画に登場するシーンを訪れる聖地巡礼客にも近年大変人気の観光地ともなっています。
そして春の桜の季節に「君の名は」の聖地、飛騨古川の町内を9台の絢爛豪華な屋台が巡っていきます。
お隣の高山祭に比べると知名度こそ劣りますが、屋台の美しさはけして引けをとってはいません。
しかし古川祭の本当のメインは夜に行われる「起こし太鼓」で、日本三大裸祭の一つに数えられています。
優雅な屋台巡行とは一転し、勇壮で力強く、まるで喧嘩と見まごうばかりの激しい祭り町を熱くします。
2種類の祭りを一度に満喫しましょう。
さらに「千とちひろ」のモデルと噂される渋温泉の旅館や温泉につかるニホンザル、国宝松本城に白川郷を巡り、そして伝統息づく金沢へ参ります。
金沢から特急サンダーバードで乗り換えなし2時間少々の列車の旅で京都に到着します。
ツアーは京都2泊で終了となりますが、延泊ご希望のお客様は予約フォームにてその旨をお問い合わせください。
また京都から東京またはその他の都市への新幹線チケット及び関西国際空港へのリムジンバスの予約なども承ります。
※古川祭の祭屋台は県の有形民俗文化財に指定されており、雨天時は文化財保護の為、屋台の曳行、曳き揃え等の屋外で行われる行事は全て中止されます。予めご理解頂いたうえでご参加ください。起こし太鼓に関しましては雨天でも執り行われます。
ツアー概要
【早割りセール】表示価格から10%OFF!!
飛騨古川は2016に世界的ヒットを記録したアニメ、「君の名は」で一躍脚光を浴び、映画に登場するシーンを訪れる聖地巡礼客にも近年大変人気の観光地ともなっています。
そして春の桜の季節に「君の名は」の聖地、飛騨古川の町内を9台の絢爛豪華な屋台が巡っていきます。
お隣の高山祭に比べると知名度こそ劣りますが、屋台の美しさはけして引けをとってはいません。
しかし古川祭の本当のメインは夜に行われる「起こし太鼓」で、日本三大裸祭の一つに数えられています。
優雅な屋台巡行とは一転し、勇壮で力強く、まるで喧嘩と見まごうばかりの激しい祭り町を熱くします。
2種類の祭りを一度に満喫しましょう。
さらに「千とちひろ」のモデルと噂される渋温泉の旅館や温泉につかるニホンザル、国宝松本城に白川郷を巡り、そして伝統息づく金沢へ参ります。
金沢から特急サンダーバードで乗り換えなし2時間少々の列車の旅で京都に到着します。
ツアーは京都2泊で終了となりますが、延泊ご希望のお客様は予約フォームにてその旨をお問い合わせください。
また京都から東京またはその他の都市への新幹線チケット及び関西国際空港へのリムジンバスの予約なども承ります。
※古川祭の祭屋台は県の有形民俗文化財に指定されており、雨天時は文化財保護の為、屋台の曳行、曳き揃え等の屋外で行われる行事は全て中止されます。予めご理解頂いたうえでご参加ください。起こし太鼓に関しましては雨天でも執り行われます。
ツアー前日までのお勧め観光ポイント
東京からほんの30分ほどで行ける川越は、一日中楽しめ、江戸時代の建築を見るのに最適な場所といえます。この古き良き雰囲気を最もよく表すものの一つが、蔵造りの街並みです。この街並みに並ぶ伝統的な建物は、火事から身を守るよう丈夫に造られています(川越は数世紀前大火事がありました)。町の中には「時の鐘」が高くそびえ、有名な「菓子屋横丁」に行くこともできます。伝統的な日本家屋の中を見るなら、美しい庭園のなかにある、川越城跡にある本丸御殿に行くのをおすすめします。
★秩父地方長瀞
秩父地方長瀞は、埼玉県の中心、東京の北に位置しています。東京から簡単にアクセスでき、荒川沿いの、山と森に囲まれた日本の田舎の美しい自然に出会う事でしょう。四季折々素晴らしいのですが、秋の紅葉にうっとりするのにうってつけの場所です。日本のさくら名所100選に数えられている4月から5月中旬までの長瀞の桜は大変美しいです。周囲の自然をいっぱいに楽しむのに、小さな木製ボートにのる船下りを使うのも手です。
★草間彌生美術館
「無限の鏡の部屋:ファリスの平原」や「南瓜」のオブジェなど、常に日本の現代美術を担う草間彌生。彼女の作品を展示しているのが東京都新宿区にある草間彌生美術館です。彼女の作品が常設展示されていることはもちろん、年に数回の企画展が行われています。日本を代表する現代芸術家の作品に触れることができる美術館となっています。入館は日時指定の予約、定員制となっています。
1日目(4月13日):東京
空港リムジンバスサイト内の池袋・目白・九段・後楽園エリアより東京ドームホテル行をご参照ください。
羽田空港発:¥930~¥1,230
成田空港発:¥3100
※空港ーホテル間の交通費はツアー代金に含まれません。
ホテル到着後各自チェックイン
(チェックインは14時以降です。14時前に到着した場合は荷物をホテルにお預け頂いてから、各自東京散策をお楽しみください。)
都内自由散策
※宿泊日数追加をご希望のお客様は予約フォームのリクエスト欄にてお問い合わせください。
2日目(4月14日):東京
2日目の行程
【東京】終日自由観光
都内観光スポット例:
- 谷中商店街と上野(上野公園、東京国立博物館)
- 秋葉原電気街(電化製品、漫画、フィギュア、メイド喫茶)
- 銀座(高級ブティックの立ち並ぶ繁華街)
- 渋谷エリア:表参道、青山、代官山(アーティスティックな建物や高級ブティックの集まるお洒落なエリア)
- 原宿:竹下通り(若者のファッション発信地)
3日目(4月15日):北陸新幹線に乗って善光寺詣り
3日目の行程
【東京】-- "新幹線" -- 【小布施】 (昼食付, 自由散策)--- 【金具屋(渋温泉)】
東京駅で新幹線に乗車
2015年の東京ー金沢間北陸新幹線開通に伴い導入された最新の車両は日本の伝統文化と未来をつなぐというコンセプトの元、"和"の未来をテーマにデザインされています。
外観は高速走行するための造形と日本の伝統的な色使い、走行する沿線の風景を融合させ、スピード感と精悍さを表現し、車内空間においては大人の琴線に触れる『洗練さ』と心と体の『ゆとり・解放感』をテーマにトータルデザインされ、快適で優雅な移動を楽しむことができるでしょう。
また驚くべきはその車体の安定性の高さであり、山岳地帯を最高時速260kmで走るにもかかわらず、最小限にその振動を抑え、快適な移動時間を可能にしています。
小布施:北斎が愛した町
長野県北部の小布施(おぶせ)は、県内で面積の一番小さな町ですが、人口約1万1千人の町に年間約120万人の観光客が訪れるとても人気のある観光地となっています。
町内には美術館、博物館、寺院、老舗栗菓子店等の見どころも多く、土壁の建物や土塀が並ぶ落ち着いた雰囲気の景観とあわせて、魅力となっています。
そして、ここは伝統的景観と地域の暮らしの両面を考慮した、まちづくりを行い全国から注目を集めています。
もとは特に何の変哲もない田舎町で、田舎特有の現象として年々過疎化が進み、町の将来が危惧されていました。
それをなんとか食い止めようと町が作ったのが、この町とゆかりの深い浮世絵画家、葛飾北斎をテーマとした北斎館です。
1842年、北斎はすでに齢83歳で江戸の絵師として十分すぎるほど名声を博していたときに、初めて小布施を訪れています。
高齢の身で山奥の田舎村から遠路はるばる江戸から足を運んだのは、江戸で親交の深かった小布施の豪農、高井鴻山の招きがあったからです。
鴻山は北斎の為に自宅にわざわざ専用のアトリエを作って厚遇しました。
1844年に再び小布施の鴻山のもとを訪れ、1848年まで滞在し、翌年1849年に齢90歳で江戸で亡くなっています。
江戸で名声を博しながらもその特殊な性格の為に狂人として良くも悪くも風評がたち、お金にも無頓着なため常に赤貧の生活を送っていた北斎にとっては物質的にも精神的にも快適に過ごせる場所でもあったのでしょう。
北斎は浮世絵の版画の巨匠として知られていますが、北斎館では数少ない北斎の肉筆画を見ることができます。
中でも2基の屋台の天井に書かれた「龍」「鳳凰」、「怒涛」は必見です。
またやや離れたところにある寺院、岩松院の「八方睨みの鳳凰」は畳21枚分の大きさの天井画は圧巻の一言です。
北斎は現在の小布施の町おこしに大きな役割を果たしていますが、それはあくまで一つの起爆剤であり他にも多くの町づくりの賜物として現在の小布施が出来上がっています。
建築家たちがリーダーシップをとり、人々の現代の生活と古い建築物の保存を両立させ、町全体の調和した情緒ある風景を作り出したり、名産の栗をPRしたり、インフラ整備や観光パンフレットを充実させたりと、小布施の町の観光事業はまさに他の町の手本となっています。
渋温泉
長野県北部の山中に位置する温泉で、草津温泉と山を隔てて反対側に位置する湯田中温泉郷と呼ばれる一帯の温泉群の一つです。
1300年前に開湯したと言われ、江戸時代には善光寺に近いこともあり多くの参拝客の宿泊地として賑わいました。
江戸時代の多くの偉人達も渋温泉を訪れ、葛飾北斎もその一人です。
近年寂れてゆく温泉街が増えていく中、湯田中温泉街は今でも人気のある温泉街です。
大型のホテルやレトロな雰囲気の旅館など様々な宿泊施設があり、中でも渋温泉は石畳の道と日本らしい木造建築が伝統的な温泉街の風情を漂わせています。
非常に多くの源泉に恵まれており、渋温泉にある35軒の宿に対し、なんと37もの源泉があり、日本でも有数の豊富な湯量を誇っております。
地面を掘れば温泉が出てくるとも言われ、当然温泉は皆源泉かけ流しの上質な温泉を楽しんでいただく事が出来ます。
温泉地では他の宿の日帰り温泉や共同浴場などを巡る温泉巡りをすることも楽しみの一つですが、渋温泉でもやはり温泉巡りをすることができます。
渋温泉には9つの源泉の異なる共同浴場があり、この共同浴場のいくつか巡って行くことを「九湯巡り」といいます。
9つの共同浴場は全て無料で入ることが出来ますが、すべて無人でオートロックのカギがかけられています。
渋温泉に宿泊した人はこの共同浴場のカギを宿を借りることが出来、他には地元住民しかカギは持っていません。
つまり、この九湯巡りは地元住民と宿泊客のみの特権ですので、是非この湯巡りを思う存分楽しんでください。(ただし9の湯(大湯)のみ有料500円で宿泊客以外も利用できます)
他にも有料ですが渋温泉や他の温泉の宿泊施設の日帰り湯を楽しんでみるのもいいでしょう。
湯田中温泉まで行けば「湯巡り温泉手形」という湯田中温泉の温泉施設3つを日帰り入浴できるチケットも購入できます。
登録有形文化財の宿《金具屋》
「千と千尋の神隠し」のモデルになったとも言われている宿で、木造4階建ての建物は国の登録有形文化財に指定されています。
宿の歴史は260年ほど前まで遡り、建物20世紀前半に建てられたものです。
当時の当時の宿の主人が宮大工たちを連れ日本各地を巡り、様々な経験を積ませたうえで完成させた建物で、随所にその意匠を見つけることが出来るでしょう。
17:30から無料の館内案内ツアーが催行されており、宿にまつわる秘密を聞いて見ましょう。
館内には3つ大浴場と5つの貸切風呂の合計8つのお風呂がありますので館内で湯巡りも満喫できるでしょう。
※別途料金でお部屋のランクアップが可能です:一般和風客室→伝統建築客室・・・+10,000円/お一人あたり
4日目(4月16日):渋温泉~地獄谷野猿公苑(オプショナル)~善光寺
4日目の行程
【金具屋】 ---- 【地獄谷野猿公苑(オプショナル)】 ---- 【善光寺】 善光寺エリアで自由散策、宿坊宿泊体験
※地獄谷野猿公苑観光はオプションです。ご参加をご希望の方は添乗員にお申し出ください。
地獄谷野猿公苑(オプショナル 前日申し込み、別料金)
湯田中温泉郷の最奥の地獄谷温泉にある野生の猿の保護と観察を行っている公園で、英語ではWild snow monkey parkの名前で知られています。
ここは日本で唯一温泉に入る野生のニホンザルを見ることが出来る場所として外国人に大変評判の観光地となっており、日によっては半数以上の訪問客が外国人であることもあります。
海外メディアに取り上げられることもしばしばで、はるばるここをメインの観光ポイントとして日本にやってくる外国人もおります。
野生のニホンザルが出没する場所は他にも多くありますが、しばしば物を捕ったり危害を加えたりと観光客との間にトラブルを招くことがあります。
ここでは観光客による餌付けなどを厳禁するなどニホンザルとの適度な距離を保つようマナーが徹底されているため、ニホンザルも観光客に興味を持たず、自然のままの姿で過ごしています。
公苑の管理人が定期的に餌付けをしているため、基本的には公苑内または公苑付近にはいるはずですが、当然野生のニホンザルですから柵に囲まれた場所ではなく山中に棲息しているので、タイミングが悪いと公苑内で猿に出会えない場合もあることをご留意ください。
夏場でも公苑にはニホンザルは現れますが、温泉につかっている姿を見ることは難しいでしょう(朝方気温が冷え込む日は夏場でも温泉につかりに来ることもあります)。
また、公苑は人里からやや離れた場所にあり、駐車場から片道30分ほど歩きます。
冬場は雪道となりますので、滑りにくい靴と十分な防寒対策をご準備くださいませ。
※地獄谷野猿公苑ツアーはオプショナルツアーとなっています。
参加されない方は渋温泉や付近の散策や温泉巡りをご出発までお楽しみください。
善光寺詣り
善光寺は長野県北部に位置する無宗派のお寺で、その創立は7世紀まで遡ります。
未だ仏教が様々な宗派へと別れる前から存在するため、宗派を問わずいかなる人も受け入れる無宗派寺院であり、また女人禁制の仏教寺院の多かった日本において古くより男女分け隔てなく受け入れる珍しい寺院ということで多くの信仰を集めています。
江戸時代になり日本各地の街道が整備され比較的安易に人々が旅行に出ることが出来るようになると、長野の山奥へ遠路はるばる巡礼に訪れるようになりました。
そして、江戸時代末期になると善光寺巡礼ブームが訪れるようになり、現在の長野県の県庁所在地である長野市は善光寺の門前町として発展したものです。
善光寺の本堂内には阿弥陀三尊像が御本尊として安置されていますが、日本最古の仏像と言われる秘仏で国宝にも指定されており、7年に一度一般公開される「御開帳」の期間でさえその同じ姿をした像が分身として公開されるのみで、本物は寺の住職ですら見たことがないと言われています。
善光寺観光のハイライトは本堂内の「お戒壇巡り」で、内陣内の階段を下りて行き、ご本尊が置かれた瑠璃壇の床下を歩くことになるのですが、内部には一切の照明はなく、完全に光が遮断された廊下を中腰で進んでいきます。
暗闇の中壁伝いに歩いて行き、御本尊の真下にかかる「極楽の錠前」へ触れてから再び地上へ戻ってまいります。
この「極楽の錠前」に触れることで仏様との間に縁を結び極楽浄土へのお約束を頂きます。
そしてこのお約束を大切に心に持ち続け育てることで、往生する際に仏さまが迎えに来て下さり、極楽浄土へと連れて行ってもらうことができると言われています。
またこの体験にはもう一つ仏教精神を養う修練としての意義も含んでいます。
人は普段様々な雑念や煩悩に心を奪われていますが、この「お戒壇巡り」の一寸先も見えぬ暗闇の中ではただ一つ心は「極楽の錠前」に触れることに専心します。
あらゆる煩悩から解放され辿り着く悟りの境地にほんの少しでも近づくことこそがこの体験のポイントです。
錠前に触れ今度は暗闇から出口を探して進んでいくとわずかに地上の光が見えてきます。
ここで物を見ることができる事、つまり光のありがたさを感じ、出口を出た後の光の下の世界は入り口を入った時とはまた違ったふうに見えるかもしれません。
そこにこそこの体験のもう一つの重要な意義があるのです。
そしてそれ故にこのお戒壇巡りは短い距離を歩くだけですが、ただの通路ではなく「道場」と呼ばれ、修行の場の一環としてとらえられているのです。
宿坊~寺院に宿泊~
善光寺を訪れる際の目玉の一つとして宿坊体験というのがあります。
宿坊とは元来参拝者や僧侶たち用の寺院併設または寺院内の宿泊施設でした。
遠路を旅してやってくる巡礼者を迎え入れる施設であると同時に、僧侶と同様の素朴な食事や住居で寝食を共にすることで心身を清める役割をも果たしていました。
現在では巡礼者のみならず多くの観光客が訪れるようになったため、多くの宿坊が一般観光客を受け入れるようになりました。
そして宿泊設備やサービスも充実し、快適に過ごすことができるようになりました。
現代の宿坊体験は決してかつてのような質素で禁欲的な修行を体験することではなく、寺院文化の入り口を一般の人々に知ってもらうことにあります。
宿坊によっては写経、写仏などの体験が出来るところもありますが、なんといっても宿坊体験でのメインはご朝事を見学することでしょう。
「ご朝事」とは善光寺の全僧が毎朝善光寺の本堂で行われるお勤め(読経)のことです。
そして通常本堂で早朝5時半~6時半頃に行われますが、善光寺の男性住職と女性住職が本堂へと向かう際、一般の人々は参道で功徳を頂くことができます。
お朝事見学は宿坊に宿泊するとどこでも案内人が見学に連れて行ってくれます。
そしてその後境内見学、お戒壇巡りをして戻ってきてから朝食を頂きます。
お朝事見学は義務ではありませんがせっかくの機会ですから是非早起きして参加してみてください。
5日目(4月17日):善光寺ー松本
5日目の行程
【善光寺】 (お朝事見学 + お戒壇巡り、本堂内陣見学) ---- 【松本】 グループ見学(松本城, 歴史地区) +自由散策
※お戒壇巡り+内陣見学、松本城入場、松本市内バス1日券はツアー代金に含まれます。
松本の城下町
松本は江戸時代には長野県で最も栄えていた町で、長野の山奥にあったおかげで中都市としては戦災を免れた数少ない城下街の一つで、歴史的文化財が今もなお多く残っています。
《松本城》
松本に残る歴史的文化財の中でも一際存在感を放っているのが松本城であることは言うまでもありません。
日本にはかつてのままの天守閣の姿をとどめる12の城がありますが、その中でも5城のみが国宝に指定されています。
それが姫路城、彦根城、犬山城、松江城そしてこの松本城です。
なかでも天守閣とそれを囲む堀の美しさと壮麗さは姫路城にも引けをとりません。
姫路城やほかの多くの城と違い全体的に黒に塗られており人々から別名「烏城」と呼ばれています。
周りを掘りで巡らせた6階建ての天守閣へむけて掛けられた朱色の橋がより一層天守閣を引き立てます。
さらに2017年に塗り直しをしたばかりですので黒く重厚かつ優雅さのある姿が見られるでしょう。
城内に入ると江戸時代そのままの様々な防衛用の仕掛けを凝らした構造を見ることができ、武具の展示もされています。
そして最上部まで登れば松本市内のパノラマを360°見渡すことができます。
《中町通り》
「なまこ壁」と称される白黒の壁の土蔵が並び、城下町風情が色濃く残る通りです。
かつては酒や呉服の問屋が火事から守るために作った蔵で、現在はその蔵の雰囲気を観光利用し、民芸店や工芸店、カフェなどに改装し人気を集めています。
《縄手通り》
中町通りと並んで人気の観光ストリートですが、江戸の城下町を再現しており、中町通と比べて庶民的な雰囲気が漂うレトロな町並みを散策できます。
通りにはカエル関連のものがたくさん見かけられるが、カエルをシンボルとして町を再び活気づかせようと松本市が40年以上前に始めた運動が名物として定着したものです。
150mほどの通りには骨董、民芸、駄菓子、食事処等様々な店があり、食べ歩きにもぴったりです。
願い事が叶うとされるパワースポットの四柱神社も人気です。
《松本市美術館》
松本は直島のカボチャなどで有名な草間彌生が生れ育った地であり、松本市美術館には草間彌生の作品が多く展示されています。
屋外には巨大なオブジェ「幻の華」が展示され、館内では初期の作品から最新の作品までご覧いただけます。
美術館の随所に草間彌生カラーを発見することができますが、他にも松本出身の作家の展示や企画展も行われています。
6日目(4月18日):松本~高山
6日目の行程
【松本】 ----【高山】自由散策
午前中松本を出発。高速バスにて高山へ。
高山 ~飛騨の小京都~
高山市は日本で最も面積の大きな市で東京都とほぼ同じ面積を持ちますが、その大半が山岳地帯で居住者がいないため、人口は9万人以下しかいません。
そしてその人口の多くは高山駅を中心とした中心市街地域に集中しています。
飛騨山脈(北アルプス)の西山麓に位置し、周辺の飛騨市、下呂市、白川村と共に飛騨地方と呼ばれ、その中心である高山市街は「飛騨高山」と呼ばれることが多いです。
名古屋から北陸地方へと抜ける中継地として発達した町ですが、山岳の豪雪地帯で近世の経済成長圏から大きく外れ、インフラ整備も遅れていたため、近代化の影響が比較的少なかったため、江戸時代以来の城下町や商家などが当時のまま保全されており、現在では国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
もともとは北アルプスを目指す登山家たちの単なる登山基地にすぎませんでしたが、登山家たちの口コミによって次第に高山の美しい町並みが伝えられたのが現在の観光地としての高山の始まりです。
田舎ではあったものの江戸時代には幕府の天領であったため、当時は少なからず都の文化が伝わり、素朴な中にも雅な町並みが形作られ、その景観からいつしか「飛騨の小京都」と呼ばれ観光客の人気を集めるようになったのです。
飛騨高山の伝統と文化 ~高山祭~
先に述べたように、江戸時代以来、近代化の影響が比較的軽微だったおかげで高山には脈々と受け継がれた多くの伝統に触れることができます。
豊かな自然に囲まれた飛騨地方では古くから木材の加工技術が発達し、その優れた技術から飛騨の職人は「飛騨の匠」と呼ばれ、様々な場所、あらゆる時代に活躍してきました。
現在でも飛騨の家具は世界的にも高い評価を受けており、一位一刀彫や春慶塗といった伝統工芸品はその技術の高さを証明しているといっていいでしょう。
春と秋の年2回開催される飛騨高山祭で曳かれる屋台にこそ、その技術が凝縮した集大成と言っても過言ではないでしょう。
高山祭は京都の祇園祭、埼玉の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の一つに数えられており、2016年に「山・鉾・屋台行事」としてユネスコの無形遺産に登録されました。
高山祭のハイライトはその絢爛豪華な屋台の美しさにあります。
年2回それぞれ10数基ずつ屋台が出庫しますが、どれ一つとして同じ屋台はなく、それぞれが個性的な特徴と細かな細工、またからくり人形が備え付けられている屋台もあり、その装飾の美しさと繊細さから「動く陽明門」と呼ばれています。
高山祭の期間以外では高山祭り会館で過去に使用された屋台をご覧いただけますので、是非一度足を運んでみてください。
6日目(4月19日):古川祭1日目
7日目の行程
【高山】 ---- 【飛騨古川】(終日自由行動)---- 【高山】
高山ー飛騨古川間往復切符はツアー代金に含まれます。
飛騨古川
飛騨古川は高山ほど大きな町ではないですが、こじんまりして散策しやすい情緒ある街並みが魅力です。
20世紀初頭の火事でそれ以前の古い家屋のほとんどが焼失してしまいましたが、官民協力して昔ながらの町並みの再生につとめたため、観光地としてのインフラを整備しつつも大きなホテルなど景観を著しく害するものを避け、素朴で調和のとれた味わいのある風景となりました。
飛騨古川のお勧めは白壁土蔵街という区域で、白いなまこ壁の蔵が立ち並ぶ脇の水路には1000匹余りの鯉が放流され、そぞろ歩きに最適です。
飛騨では北アルプスの天然水の恵みのおかげで上質な酒を醸造する蔵が多くあるので、酒蔵巡りなどを楽しむのもいいのではないでしょうか。
飛騨古川は高山の陰に隠れてあまり注目されていませんでしたが、2016年公開されて世界的にも大ヒットした「君の名は。」の中で古川の駅や町が登場したことで脚光を浴びるようになりました。
以来、多くのファンが飛騨古川へ「聖地巡礼」としてここを訪れるようになっています。
アニメの中に登場する場面と全く同じ風景をぜひ探してみてください。
古川祭でも高山祭に比べると知名度と規模においてはやや劣りますが、高山祭に負けないほどの絢爛豪華な屋台が並びます。
「君の名は」で登場する神社のモデルともいわれる気多若宮大社の祭礼で毎年4月19日、20日にご覧いただけます。
古川祭の見どころは、祭りの1日目の夜に行われる「起こし太鼓」と二日目の屋台の曳き揃えで、特に「起こし太鼓」高山祭では見ることが出来ません。
「起こし太鼓」とは、数百人のさらし姿の裸男たちが大太鼓をくくりつけた櫓をかつぎ、町中を巡行する行事で、日本三大裸祭の一つとなっています。
古川祭の構成は1日目の日中は9つの屋台が各町内を巡る「屋台巡行」、夜には「起こし太鼓」が行われます。
2日目は主に屋台がメインとなり、全ての屋台が一同に会する「曳き揃え」や「子供歌舞伎」や「からくり奉納」などが行われ、夜には提灯の装飾で屋台が闇の中に美しく浮かびあがります。
また気多若宮神社では神事が執り行われ、獅子舞や闘鶏楽といった催しが行われ、午後になると御神輿行列が神社を出発し、町内を巡って行きます。
屋台は夜になる前に再びそれぞれの屋台蔵へと戻りますが、御神輿は町内の御旅所とよばれる場所翌日まで安置されます。
起こし太鼓
「起こし太鼓」とは「目覚まし太鼓」とも呼ばれ、本来は祭の開始の合図として本祭の前日の深夜に太鼓を打ち鳴らして回ったものですが、古川ではこの行事の激しさが増し、ついには独立した一つの行事と変わって行きました。
この行事は数百人のふんどし一枚の男たちが参加し、大太鼓の担ぎ手たちと12の小太鼓の担ぎ手たちに分れ、争いながら街中を巡行する非常に荒々しい祭りです。
大太鼓の担ぎ手は毎年抽選で決まった組が担当し、「付太鼓」と呼ばれる小太鼓をその他の組がそれぞれ担当します。
小太鼓にとって、起こし太鼓のやぐらの後方の最も近い位置に付けるのが名誉とされており、大太鼓を警護する者たちとのせめぎあいや小太鼓を担う組同士の争いが観客たちを魅了します。
古川の人々は古くよりその気性の激しさが「古川ヤンチャ」と呼ばれるほど有名で、この行事ではその気性が頂点に達し、けが人も続出するため、付太鼓が禁止されたことも幾度となくありましたが、現在ではその激しさこそがこの祭りの楽しみとなり、喧嘩祭としても有名になっています。
この大太鼓と小太鼓の攻防はすぐ近くで行われるため、その迫力たるや見るものを圧倒しますが、巻き添えになってけがをする人も後を絶たないので、見学する際は十分に注意して、全て自己責任でご覧ください。
またこの攻防とは別に各小太鼓の組が小太鼓を括り付けた3mほどの棒の先に腹をのせるパフォーマンスもお見逃しなく!
8日目(4月20日):古川祭2日目
8日目の行程
【高山】 ---- 【飛騨古川】(終日自由行動)---- 【高山】
高山ー飛騨古川間往復切符はツアー代金に含まれます。
屋台曳行、屋台曳き揃え
高さ6メートルを超える9台の屋台が町内を巡行し、この日に全ての屋台が一同に集結します。
一台当たり数億円かかる絢爛豪華な屋台が並ぶ姿は圧巻です。
各屋台ごとに異なる見事な装飾は観光客を魅了してやまず、高山祭の屋台と比べても全く遜色ないことが分かって頂けるでしょう。
また各屋台に施された微にいり細を穿った彫り物はまさに「飛騨の匠」の技が結集されており、その洗練された技術に感嘆を禁じ得ないことでしょう。
青龍台と麒麟台と呼ばれる2つの屋台ではからくり人形を備えており、その実演をご覧いただくことが出来ます。
白虎台と呼ばれる屋台には舞台が備え付けてあり、そこで子供歌舞伎が実演されます。
また初日同様に御神輿行列や獅子舞もご覧いただけます。
夕方ごろになると提灯で飾り付けられた屋台が夜の町を曳行され、町は賑やかな夜祭の雰囲気に包まれます。
日中とはまた趣の異なった屋台をご覧いただけることでしょう。
是非お祭りを最後までご堪能下さい。
9日目(4月21日):高山~白川郷~金沢
9日目の行程
【高山】---- 【白川郷】 (展望台案内後、自由散策)---- 【金沢】
※白川郷展望台往復シャトルバス代はツアー代金に含まれます。
午前中高山市内を出発。高速バスで白川郷を目指します。
白川郷
飛騨地方の岐阜県白川郷荻町集落と富山県五箇山相倉集落、菅沼集落は「白川郷・五箇山の合掌造り集落」としてUNESCOの世界文化遺産に登録されています。
白川郷はこの三集落の中で最大規模の集落で、世界遺産地域の3分の2を占め、住宅も合計60棟あります。
日本語では単に「歴史的集落」ではなく「合掌造り集落」という名で登録されていますが、合掌造りというのはこの世界遺産地域独特の茅葺き屋根の事を指します。
「合掌造り」とは日本の建築様式の一つで、豪雪地帯で用いられることが多く、丸太を交互に組み合わせてその上に茅を葺いた屋根があたかも合掌しているかのようであることからこの名前がつけられました。
屋根の上に雪が積もりすぎて家がつぶれる事のないよう、また雪下ろしの作業の負担を軽減するため、屋根が鋭角になっています。
これにより出来た広い屋根裏スペースは、この地方の主要な産業である養蚕業の養蚕棚として使われていました。
そして養蚕業が発展するにつれ、屋根裏スペースをより確保するため、屋根の角度もより一層鋭角になって行ったと言われています。
屋根には一切の釘が使われておらず、縄で固定され風雪に負けない柔軟で強靭な構造になっており、家の向きや窓の位置なども日の当たり具合などが十分に計算されて作られており、先人たちの知恵が詰まった合理的な建築様式となっています。
茅は一度葺いたら30~40年は持ちますが、風雨や雪で痛むため、年に1~2回の補修作業をしなければなりません。
屋根の全体の葺き替え作業は大仕事になるため、村人総出で行われました。
19世紀末にはこの建築様式を使った家屋は2000近くありましたが、それでも日本において非常に珍しいかなり例外的な様式でした。
過疎化やダム建設による村人の退去等の理由で多くの村がなくなりましたが、豪雪地帯な上に交通の便が悪く、半ば都市部と断絶された環境が幸いし、完全に消滅することなく一部の集落が残りました。
そしてやがてこの特殊な集落と田舎の田園風景の保存へと向けた動きが内外から出てくるようになり、ついに1994年に日本で4番目の世界遺産として登録されました。
現在では多くの観光客が訪れる人気の観光地である一方で観光地化に伴う土産物店や食事処などの増加により、本来の牧歌的で静かな山村の景観が失われつつあることが懸念されています。
夕方ごろ金沢到着
宿泊ホテルは繁華街徒歩圏内ですので金沢の夜をごゆっくりお過ごしください。
10日目(4月22日):金沢
【午後】金沢市内自由散策
※ 金沢市内バス一日券、忍者寺拝観料はツアー代金に含まれます。
金沢
~優雅な芸術と文化の町~
北陸地方石川県の県庁所在地である金沢は江戸時代の最大の大名の領地の城下町として発展し、当時は東京、大阪、京都の三都に次ぐ人口を誇りました。
「加賀百万石」と呼ばれて人々や他大名たちからその繁栄ぶりを称えられており、主要な街道から外れているにもかかわらず独自の優雅な文化を築き上げました。
大きな戦乱に巻き込まれることもなく、第二次世界大戦でも空襲を受けておらず、昔の風情ある街並みが今も残っています。
また金沢の歴代藩主が文化事業を奨励したため、多彩な伝統文化が受け継がれ今も息づいています。
《兼六園》
日本三名園の一つとして知られ、ミシュランガイドでも3つ星評価を与えられている回遊式日本庭園です。
四季折々に様々な表情を見せ、春には桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪吊り(樹木を雪害から守るための技術)のほか季節ごとに様々な花を見ることもできます。
兼六園は金沢城付属の庭園であり、小高い丘に作られているにも関わらず多くの池があり、園内全体に水路が張り巡らされ、庭園内の樹木やオブジェと見事な調和を見せています。
《21世紀美術館》
主に1980年以降の現代美術にフォーカスを当てた美術館で、現代新鋭芸術家の企画展示を行っています。
現代美術展示の為、展示する芸術家の知名度は低いが、いずれは名が広まるだろう芸術家に注目する点は未来への先行投資といえるでしょう。
21世紀美術館の設計を担当し円形で地上一階地下一階で全面ガラス張りの独特の建築でイタリアビエンナーレの建築部門で金獅子賞を受賞した建築家ユニットSANAAが良い一例といえるでしょう。
現在、SANAAはパリの老舗デパート、サマリテーヌ・ドゥ・パリ改修の際のデザインを担当しています。
《忍者寺》
妙立寺というのが正式名称ですが、内部に施された仕掛けの数々がまるで忍者のからくり屋敷のようなので、忍者寺の愛称で親しまれています。
実際に忍者がいたわけではないのになぜこのようなお寺が出来たかというと加賀藩が置かれていた立場があります。
加賀百万石と呼ばれ非常に力を持っていた加賀藩は幕府から警戒されていました。
ですが大っぴらに防衛を固めることは出来ないので、幕府にバレないようにお寺に仕掛けをほどこし、緊急時の出城的な役割を与えたのです。
内部は完全予約制で、お寺のガイドさんが様々な仕掛けを説明しながら紹介してくれます。
《ひがし茶屋街、にし茶屋街、主計町茶屋街、長町武家屋敷跡》
戦争などに巻き込まれることが少なく、江戸時代以来、比較的平穏で昔ながらの街並みを今に伝えています。
立地的にも京文化の影響を強く受けた雅な文化が発達し、犀川沿いには料亭や舞妓や芸妓などが働く歓楽街も発達しました。
なかでもひがし茶屋街と主計町茶屋街は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
また上流・中流階級藩士の侍屋敷が軒を連ねる長町武家屋敷跡には土塀と石畳の路地が続いており、かつての情緒ある雰囲気を味わうことができます。
《成巽閣》
成巽閣は国の重要文化財に指定されている建物で1863年江戸時代から明治時代への移り変わりの激動の時代に建てられました。
加賀藩主が母親の隠居後の生活の為に建てたもので優雅な作りの中にも細やかな気配りが見て取れます。
一階は大名屋敷風の書院造で2階は茶室風の数寄屋造りと2種類の様式が組み合わされており、部屋ごとにテーマが決められて装飾が施されています。
伝統的な建築の中にも当時最先端だった西洋のモダンな要素を取り入れ趣を沿えています。
《金沢城公園》
金沢城は加賀百万石を治めていた前田氏の居城です。
現在見えるものは20世紀の終わりに復元されたもので、もともとあった城の大半は18世紀後半の大火災に遭い焼失し、19世紀後半には陸軍の施設が置かれ、戦後は大学のキャンパスとして使われました。
本丸こそ復元されていませんが、櫓や門、施設の配置や構造などをなるべく史実に忠実に再現しています。
特に石垣の石組みの技術は高く、様々な時代の様々な様式の石垣を見ることができる為、別名「石垣の美術館」と呼ばれています。
11日目(4月23日):金沢
11日目の行程
金沢延泊ご希望のお客様は予約フォームよりお問い合わせください。
午前中 金沢を出発し特急サンダーバードで京都へ向かいます。(2時間強)
京都到着後ホテルに荷物を預けた後、公共交通機関を利用して京都市内観光。
三十三間堂、清水寺、八坂神社、祇園、四条河原町等。
※京都市内バス地下鉄一日乗車券付。ただし寺社仏閣等の拝観料は各自払いとなります。
添乗員同行は11日目京都市内案内後終了となります。
翌日以降は各自で自由に散策をお楽しみください。
12日目(4月24日):京都
【京都】終日自由散策
- 金閣寺
- 竜安寺とその枯山水庭園
- 銀閣寺と哲学の道
- 二条城
- 伏見稲荷神社(稲荷駅)
- 平等院(宇治駅)
13日目(4月25日):京都
お気を付けて旅の続きをお楽しみくださいませ。
京都でご延泊をご希望のお客様はご予約フォームのリクエスト欄にその旨をご記入お願いいたします。
また京都から東京またはその他の都市への新幹線チケット及び関西国際空港へのリムジンバスの予約なども承ります。
ツアー終了後のお勧め観光スポット
日本三景のひとつ、京都の北部に位置する天橋立。ケーブルカーで傘松公園まで行き、そこから眺めます。全長3.6キロメートルの砂州である天橋立は、8,000本以上の松並木で覆われています。大自然がつくった橋をのんびりと巡るのは、楽しいひとときとなるでしょう。
天橋立が別名「天の浮橋」とも呼ばれるゆえんは、頭を下にして脚の間から見てみると、まるで天に向かって橋がかかっているように見えるからです。
天橋立に行ったなら、808年に建立の智恩寺と傘松公園に近い成相山の山頂にある成相寺にも足をのばしてみましょう。
★比叡山 延暦寺
高野山と同様、比叡山は日本で最も神聖な場所のひとつとされています。延暦寺は天台宗が開かれた寺で、天台宗の総本山として8世紀以来ずっと崇められてきました。1994年に世界文化遺産としてユネスコに登録されています。16世紀には、織田信長による焼討ちにあい壊滅的な被害を受けましたが、江戸時代に入り修復されました。16世紀以前には、延暦寺界隈には3,000もの寺があったそうです。また延暦寺境内にある東塔は、延暦寺の起源となる場所です。
さらに比叡山の延暦寺周辺は、ハイキングに絶好のロケーションでもあります。秋には山の木々が赤や黄色に色づき、春には花々が山に彩りを添える景観が広がります。
★トロッコ列車と保津川下り
京都にあって自然あふれる嵐山は、竹林やモンキーパークで有名なほか、お寺や神社の数の多さでも知られています。
では、嵯峨野にかわいいトロッコ列車が走っていて、京都周辺に広がる美しい自然を楽しめることができるのはご存知でしょうか。トロッコ列車は、別名ロマンチックトレイン嵯峨野といい、保津川沿いの美しい渓谷を走っています。
保津川へは列車で行けますが、遊覧船で川に降りることもできますので、ぜひ、川に降りてみてください。トロッコ列車の終着駅である亀岡駅から保津川下りの遊覧船に乗船することができます。亀山から嵯峨まで16㎞におよぶ保津川下りは、ところどころにあらわれる激流のスリルを味わいながら四季折々に変化を見せる自然を楽しむことができます。
ルートマップ
ツアー詳細
ツアー前日までのお勧め観光ポイント
東京からほんの30分ほどで行ける川越は、一日中楽しめ、江戸時代の建築を見るのに最適な場所といえます。この古き良き雰囲気を最もよく表すものの一つが、蔵造りの街並みです。この街並みに並ぶ伝統的な建物は、火事から身を守るよう丈夫に造られています(川越は数世紀前大火事がありました)。町の中には「時の鐘」が高くそびえ、有名な「菓子屋横丁」に行くこともできます。伝統的な日本家屋の中を見るなら、美しい庭園のなかにある、川越城跡にある本丸御殿に行くのをおすすめします。
★秩父地方長瀞
秩父地方長瀞は、埼玉県の中心、東京の北に位置しています。東京から簡単にアクセスでき、荒川沿いの、山と森に囲まれた日本の田舎の美しい自然に出会う事でしょう。四季折々素晴らしいのですが、秋の紅葉にうっとりするのにうってつけの場所です。日本のさくら名所100選に数えられている4月から5月中旬までの長瀞の桜は大変美しいです。周囲の自然をいっぱいに楽しむのに、小さな木製ボートにのる船下りを使うのも手です。
★草間彌生美術館
「無限の鏡の部屋:ファリスの平原」や「南瓜」のオブジェなど、常に日本の現代美術を担う草間彌生。彼女の作品を展示しているのが東京都新宿区にある草間彌生美術館です。彼女の作品が常設展示されていることはもちろん、年に数回の企画展が行われています。日本を代表する現代芸術家の作品に触れることができる美術館となっています。入館は日時指定の予約、定員制となっています。
1日目(4月13日):東京
空港リムジンバスサイト内の池袋・目白・九段・後楽園エリアより東京ドームホテル行をご参照ください。
羽田空港発:¥930~¥1,230
成田空港発:¥3100
※空港ーホテル間の交通費はツアー代金に含まれません。
ホテル到着後各自チェックイン
(チェックインは14時以降です。14時前に到着した場合は荷物をホテルにお預け頂いてから、各自東京散策をお楽しみください。)
都内自由散策
※宿泊日数追加をご希望のお客様は予約フォームのリクエスト欄にてお問い合わせください。
2日目(4月14日):東京
2日目の行程
【東京】終日自由観光
都内観光スポット例:
- 谷中商店街と上野(上野公園、東京国立博物館)
- 秋葉原電気街(電化製品、漫画、フィギュア、メイド喫茶)
- 銀座(高級ブティックの立ち並ぶ繁華街)
- 渋谷エリア:表参道、青山、代官山(アーティスティックな建物や高級ブティックの集まるお洒落なエリア)
- 原宿:竹下通り(若者のファッション発信地)
3日目(4月15日):北陸新幹線に乗って善光寺詣り
3日目の行程
【東京】-- "新幹線" -- 【小布施】 (昼食付, 自由散策)--- 【金具屋(渋温泉)】
東京駅で新幹線に乗車
2015年の東京ー金沢間北陸新幹線開通に伴い導入された最新の車両は日本の伝統文化と未来をつなぐというコンセプトの元、"和"の未来をテーマにデザインされています。
外観は高速走行するための造形と日本の伝統的な色使い、走行する沿線の風景を融合させ、スピード感と精悍さを表現し、車内空間においては大人の琴線に触れる『洗練さ』と心と体の『ゆとり・解放感』をテーマにトータルデザインされ、快適で優雅な移動を楽しむことができるでしょう。
また驚くべきはその車体の安定性の高さであり、山岳地帯を最高時速260kmで走るにもかかわらず、最小限にその振動を抑え、快適な移動時間を可能にしています。
小布施:北斎が愛した町
長野県北部の小布施(おぶせ)は、県内で面積の一番小さな町ですが、人口約1万1千人の町に年間約120万人の観光客が訪れるとても人気のある観光地となっています。
町内には美術館、博物館、寺院、老舗栗菓子店等の見どころも多く、土壁の建物や土塀が並ぶ落ち着いた雰囲気の景観とあわせて、魅力となっています。
そして、ここは伝統的景観と地域の暮らしの両面を考慮した、まちづくりを行い全国から注目を集めています。
もとは特に何の変哲もない田舎町で、田舎特有の現象として年々過疎化が進み、町の将来が危惧されていました。
それをなんとか食い止めようと町が作ったのが、この町とゆかりの深い浮世絵画家、葛飾北斎をテーマとした北斎館です。
1842年、北斎はすでに齢83歳で江戸の絵師として十分すぎるほど名声を博していたときに、初めて小布施を訪れています。
高齢の身で山奥の田舎村から遠路はるばる江戸から足を運んだのは、江戸で親交の深かった小布施の豪農、高井鴻山の招きがあったからです。
鴻山は北斎の為に自宅にわざわざ専用のアトリエを作って厚遇しました。
1844年に再び小布施の鴻山のもとを訪れ、1848年まで滞在し、翌年1849年に齢90歳で江戸で亡くなっています。
江戸で名声を博しながらもその特殊な性格の為に狂人として良くも悪くも風評がたち、お金にも無頓着なため常に赤貧の生活を送っていた北斎にとっては物質的にも精神的にも快適に過ごせる場所でもあったのでしょう。
北斎は浮世絵の版画の巨匠として知られていますが、北斎館では数少ない北斎の肉筆画を見ることができます。
中でも2基の屋台の天井に書かれた「龍」「鳳凰」、「怒涛」は必見です。
またやや離れたところにある寺院、岩松院の「八方睨みの鳳凰」は畳21枚分の大きさの天井画は圧巻の一言です。
北斎は現在の小布施の町おこしに大きな役割を果たしていますが、それはあくまで一つの起爆剤であり他にも多くの町づくりの賜物として現在の小布施が出来上がっています。
建築家たちがリーダーシップをとり、人々の現代の生活と古い建築物の保存を両立させ、町全体の調和した情緒ある風景を作り出したり、名産の栗をPRしたり、インフラ整備や観光パンフレットを充実させたりと、小布施の町の観光事業はまさに他の町の手本となっています。
渋温泉
長野県北部の山中に位置する温泉で、草津温泉と山を隔てて反対側に位置する湯田中温泉郷と呼ばれる一帯の温泉群の一つです。
1300年前に開湯したと言われ、江戸時代には善光寺に近いこともあり多くの参拝客の宿泊地として賑わいました。
江戸時代の多くの偉人達も渋温泉を訪れ、葛飾北斎もその一人です。
近年寂れてゆく温泉街が増えていく中、湯田中温泉街は今でも人気のある温泉街です。
大型のホテルやレトロな雰囲気の旅館など様々な宿泊施設があり、中でも渋温泉は石畳の道と日本らしい木造建築が伝統的な温泉街の風情を漂わせています。
非常に多くの源泉に恵まれており、渋温泉にある35軒の宿に対し、なんと37もの源泉があり、日本でも有数の豊富な湯量を誇っております。
地面を掘れば温泉が出てくるとも言われ、当然温泉は皆源泉かけ流しの上質な温泉を楽しんでいただく事が出来ます。
温泉地では他の宿の日帰り温泉や共同浴場などを巡る温泉巡りをすることも楽しみの一つですが、渋温泉でもやはり温泉巡りをすることができます。
渋温泉には9つの源泉の異なる共同浴場があり、この共同浴場のいくつか巡って行くことを「九湯巡り」といいます。
9つの共同浴場は全て無料で入ることが出来ますが、すべて無人でオートロックのカギがかけられています。
渋温泉に宿泊した人はこの共同浴場のカギを宿を借りることが出来、他には地元住民しかカギは持っていません。
つまり、この九湯巡りは地元住民と宿泊客のみの特権ですので、是非この湯巡りを思う存分楽しんでください。(ただし9の湯(大湯)のみ有料500円で宿泊客以外も利用できます)
他にも有料ですが渋温泉や他の温泉の宿泊施設の日帰り湯を楽しんでみるのもいいでしょう。
湯田中温泉まで行けば「湯巡り温泉手形」という湯田中温泉の温泉施設3つを日帰り入浴できるチケットも購入できます。
登録有形文化財の宿《金具屋》
「千と千尋の神隠し」のモデルになったとも言われている宿で、木造4階建ての建物は国の登録有形文化財に指定されています。
宿の歴史は260年ほど前まで遡り、建物20世紀前半に建てられたものです。
当時の当時の宿の主人が宮大工たちを連れ日本各地を巡り、様々な経験を積ませたうえで完成させた建物で、随所にその意匠を見つけることが出来るでしょう。
17:30から無料の館内案内ツアーが催行されており、宿にまつわる秘密を聞いて見ましょう。
館内には3つ大浴場と5つの貸切風呂の合計8つのお風呂がありますので館内で湯巡りも満喫できるでしょう。
※別途料金でお部屋のランクアップが可能です:一般和風客室→伝統建築客室・・・+10,000円/お一人あたり
4日目(4月16日):渋温泉~地獄谷野猿公苑(オプショナル)~善光寺
4日目の行程
【金具屋】 ---- 【地獄谷野猿公苑(オプショナル)】 ---- 【善光寺】 善光寺エリアで自由散策、宿坊宿泊体験
※地獄谷野猿公苑観光はオプションです。ご参加をご希望の方は添乗員にお申し出ください。
地獄谷野猿公苑(オプショナル 前日申し込み、別料金)
湯田中温泉郷の最奥の地獄谷温泉にある野生の猿の保護と観察を行っている公園で、英語ではWild snow monkey parkの名前で知られています。
ここは日本で唯一温泉に入る野生のニホンザルを見ることが出来る場所として外国人に大変評判の観光地となっており、日によっては半数以上の訪問客が外国人であることもあります。
海外メディアに取り上げられることもしばしばで、はるばるここをメインの観光ポイントとして日本にやってくる外国人もおります。
野生のニホンザルが出没する場所は他にも多くありますが、しばしば物を捕ったり危害を加えたりと観光客との間にトラブルを招くことがあります。
ここでは観光客による餌付けなどを厳禁するなどニホンザルとの適度な距離を保つようマナーが徹底されているため、ニホンザルも観光客に興味を持たず、自然のままの姿で過ごしています。
公苑の管理人が定期的に餌付けをしているため、基本的には公苑内または公苑付近にはいるはずですが、当然野生のニホンザルですから柵に囲まれた場所ではなく山中に棲息しているので、タイミングが悪いと公苑内で猿に出会えない場合もあることをご留意ください。
夏場でも公苑にはニホンザルは現れますが、温泉につかっている姿を見ることは難しいでしょう(朝方気温が冷え込む日は夏場でも温泉につかりに来ることもあります)。
また、公苑は人里からやや離れた場所にあり、駐車場から片道30分ほど歩きます。
冬場は雪道となりますので、滑りにくい靴と十分な防寒対策をご準備くださいませ。
※地獄谷野猿公苑ツアーはオプショナルツアーとなっています。
参加されない方は渋温泉や付近の散策や温泉巡りをご出発までお楽しみください。
善光寺詣り
善光寺は長野県北部に位置する無宗派のお寺で、その創立は7世紀まで遡ります。
未だ仏教が様々な宗派へと別れる前から存在するため、宗派を問わずいかなる人も受け入れる無宗派寺院であり、また女人禁制の仏教寺院の多かった日本において古くより男女分け隔てなく受け入れる珍しい寺院ということで多くの信仰を集めています。
江戸時代になり日本各地の街道が整備され比較的安易に人々が旅行に出ることが出来るようになると、長野の山奥へ遠路はるばる巡礼に訪れるようになりました。
そして、江戸時代末期になると善光寺巡礼ブームが訪れるようになり、現在の長野県の県庁所在地である長野市は善光寺の門前町として発展したものです。
善光寺の本堂内には阿弥陀三尊像が御本尊として安置されていますが、日本最古の仏像と言われる秘仏で国宝にも指定されており、7年に一度一般公開される「御開帳」の期間でさえその同じ姿をした像が分身として公開されるのみで、本物は寺の住職ですら見たことがないと言われています。
善光寺観光のハイライトは本堂内の「お戒壇巡り」で、内陣内の階段を下りて行き、ご本尊が置かれた瑠璃壇の床下を歩くことになるのですが、内部には一切の照明はなく、完全に光が遮断された廊下を中腰で進んでいきます。
暗闇の中壁伝いに歩いて行き、御本尊の真下にかかる「極楽の錠前」へ触れてから再び地上へ戻ってまいります。
この「極楽の錠前」に触れることで仏様との間に縁を結び極楽浄土へのお約束を頂きます。
そしてこのお約束を大切に心に持ち続け育てることで、往生する際に仏さまが迎えに来て下さり、極楽浄土へと連れて行ってもらうことができると言われています。
またこの体験にはもう一つ仏教精神を養う修練としての意義も含んでいます。
人は普段様々な雑念や煩悩に心を奪われていますが、この「お戒壇巡り」の一寸先も見えぬ暗闇の中ではただ一つ心は「極楽の錠前」に触れることに専心します。
あらゆる煩悩から解放され辿り着く悟りの境地にほんの少しでも近づくことこそがこの体験のポイントです。
錠前に触れ今度は暗闇から出口を探して進んでいくとわずかに地上の光が見えてきます。
ここで物を見ることができる事、つまり光のありがたさを感じ、出口を出た後の光の下の世界は入り口を入った時とはまた違ったふうに見えるかもしれません。
そこにこそこの体験のもう一つの重要な意義があるのです。
そしてそれ故にこのお戒壇巡りは短い距離を歩くだけですが、ただの通路ではなく「道場」と呼ばれ、修行の場の一環としてとらえられているのです。
宿坊~寺院に宿泊~
善光寺を訪れる際の目玉の一つとして宿坊体験というのがあります。
宿坊とは元来参拝者や僧侶たち用の寺院併設または寺院内の宿泊施設でした。
遠路を旅してやってくる巡礼者を迎え入れる施設であると同時に、僧侶と同様の素朴な食事や住居で寝食を共にすることで心身を清める役割をも果たしていました。
現在では巡礼者のみならず多くの観光客が訪れるようになったため、多くの宿坊が一般観光客を受け入れるようになりました。
そして宿泊設備やサービスも充実し、快適に過ごすことができるようになりました。
現代の宿坊体験は決してかつてのような質素で禁欲的な修行を体験することではなく、寺院文化の入り口を一般の人々に知ってもらうことにあります。
宿坊によっては写経、写仏などの体験が出来るところもありますが、なんといっても宿坊体験でのメインはご朝事を見学することでしょう。
「ご朝事」とは善光寺の全僧が毎朝善光寺の本堂で行われるお勤め(読経)のことです。
そして通常本堂で早朝5時半~6時半頃に行われますが、善光寺の男性住職と女性住職が本堂へと向かう際、一般の人々は参道で功徳を頂くことができます。
お朝事見学は宿坊に宿泊するとどこでも案内人が見学に連れて行ってくれます。
そしてその後境内見学、お戒壇巡りをして戻ってきてから朝食を頂きます。
お朝事見学は義務ではありませんがせっかくの機会ですから是非早起きして参加してみてください。
5日目(4月17日):善光寺ー松本
5日目の行程
【善光寺】 (お朝事見学 + お戒壇巡り、本堂内陣見学) ---- 【松本】 グループ見学(松本城, 歴史地区) +自由散策
※お戒壇巡り+内陣見学、松本城入場、松本市内バス1日券はツアー代金に含まれます。
松本の城下町
松本は江戸時代には長野県で最も栄えていた町で、長野の山奥にあったおかげで中都市としては戦災を免れた数少ない城下街の一つで、歴史的文化財が今もなお多く残っています。
《松本城》
松本に残る歴史的文化財の中でも一際存在感を放っているのが松本城であることは言うまでもありません。
日本にはかつてのままの天守閣の姿をとどめる12の城がありますが、その中でも5城のみが国宝に指定されています。
それが姫路城、彦根城、犬山城、松江城そしてこの松本城です。
なかでも天守閣とそれを囲む堀の美しさと壮麗さは姫路城にも引けをとりません。
姫路城やほかの多くの城と違い全体的に黒に塗られており人々から別名「烏城」と呼ばれています。
周りを掘りで巡らせた6階建ての天守閣へむけて掛けられた朱色の橋がより一層天守閣を引き立てます。
さらに2017年に塗り直しをしたばかりですので黒く重厚かつ優雅さのある姿が見られるでしょう。
城内に入ると江戸時代そのままの様々な防衛用の仕掛けを凝らした構造を見ることができ、武具の展示もされています。
そして最上部まで登れば松本市内のパノラマを360°見渡すことができます。
《中町通り》
「なまこ壁」と称される白黒の壁の土蔵が並び、城下町風情が色濃く残る通りです。
かつては酒や呉服の問屋が火事から守るために作った蔵で、現在はその蔵の雰囲気を観光利用し、民芸店や工芸店、カフェなどに改装し人気を集めています。
《縄手通り》
中町通りと並んで人気の観光ストリートですが、江戸の城下町を再現しており、中町通と比べて庶民的な雰囲気が漂うレトロな町並みを散策できます。
通りにはカエル関連のものがたくさん見かけられるが、カエルをシンボルとして町を再び活気づかせようと松本市が40年以上前に始めた運動が名物として定着したものです。
150mほどの通りには骨董、民芸、駄菓子、食事処等様々な店があり、食べ歩きにもぴったりです。
願い事が叶うとされるパワースポットの四柱神社も人気です。
《松本市美術館》
松本は直島のカボチャなどで有名な草間彌生が生れ育った地であり、松本市美術館には草間彌生の作品が多く展示されています。
屋外には巨大なオブジェ「幻の華」が展示され、館内では初期の作品から最新の作品までご覧いただけます。
美術館の随所に草間彌生カラーを発見することができますが、他にも松本出身の作家の展示や企画展も行われています。
6日目(4月18日):松本~高山
6日目の行程
【松本】 ----【高山】自由散策
午前中松本を出発。高速バスにて高山へ。
高山 ~飛騨の小京都~
高山市は日本で最も面積の大きな市で東京都とほぼ同じ面積を持ちますが、その大半が山岳地帯で居住者がいないため、人口は9万人以下しかいません。
そしてその人口の多くは高山駅を中心とした中心市街地域に集中しています。
飛騨山脈(北アルプス)の西山麓に位置し、周辺の飛騨市、下呂市、白川村と共に飛騨地方と呼ばれ、その中心である高山市街は「飛騨高山」と呼ばれることが多いです。
名古屋から北陸地方へと抜ける中継地として発達した町ですが、山岳の豪雪地帯で近世の経済成長圏から大きく外れ、インフラ整備も遅れていたため、近代化の影響が比較的少なかったため、江戸時代以来の城下町や商家などが当時のまま保全されており、現在では国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
もともとは北アルプスを目指す登山家たちの単なる登山基地にすぎませんでしたが、登山家たちの口コミによって次第に高山の美しい町並みが伝えられたのが現在の観光地としての高山の始まりです。
田舎ではあったものの江戸時代には幕府の天領であったため、当時は少なからず都の文化が伝わり、素朴な中にも雅な町並みが形作られ、その景観からいつしか「飛騨の小京都」と呼ばれ観光客の人気を集めるようになったのです。
飛騨高山の伝統と文化 ~高山祭~
先に述べたように、江戸時代以来、近代化の影響が比較的軽微だったおかげで高山には脈々と受け継がれた多くの伝統に触れることができます。
豊かな自然に囲まれた飛騨地方では古くから木材の加工技術が発達し、その優れた技術から飛騨の職人は「飛騨の匠」と呼ばれ、様々な場所、あらゆる時代に活躍してきました。
現在でも飛騨の家具は世界的にも高い評価を受けており、一位一刀彫や春慶塗といった伝統工芸品はその技術の高さを証明しているといっていいでしょう。
春と秋の年2回開催される飛騨高山祭で曳かれる屋台にこそ、その技術が凝縮した集大成と言っても過言ではないでしょう。
高山祭は京都の祇園祭、埼玉の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の一つに数えられており、2016年に「山・鉾・屋台行事」としてユネスコの無形遺産に登録されました。
高山祭のハイライトはその絢爛豪華な屋台の美しさにあります。
年2回それぞれ10数基ずつ屋台が出庫しますが、どれ一つとして同じ屋台はなく、それぞれが個性的な特徴と細かな細工、またからくり人形が備え付けられている屋台もあり、その装飾の美しさと繊細さから「動く陽明門」と呼ばれています。
高山祭の期間以外では高山祭り会館で過去に使用された屋台をご覧いただけますので、是非一度足を運んでみてください。
6日目(4月19日):古川祭1日目
7日目の行程
【高山】 ---- 【飛騨古川】(終日自由行動)---- 【高山】
高山ー飛騨古川間往復切符はツアー代金に含まれます。
飛騨古川
飛騨古川は高山ほど大きな町ではないですが、こじんまりして散策しやすい情緒ある街並みが魅力です。
20世紀初頭の火事でそれ以前の古い家屋のほとんどが焼失してしまいましたが、官民協力して昔ながらの町並みの再生につとめたため、観光地としてのインフラを整備しつつも大きなホテルなど景観を著しく害するものを避け、素朴で調和のとれた味わいのある風景となりました。
飛騨古川のお勧めは白壁土蔵街という区域で、白いなまこ壁の蔵が立ち並ぶ脇の水路には1000匹余りの鯉が放流され、そぞろ歩きに最適です。
飛騨では北アルプスの天然水の恵みのおかげで上質な酒を醸造する蔵が多くあるので、酒蔵巡りなどを楽しむのもいいのではないでしょうか。
飛騨古川は高山の陰に隠れてあまり注目されていませんでしたが、2016年公開されて世界的にも大ヒットした「君の名は。」の中で古川の駅や町が登場したことで脚光を浴びるようになりました。
以来、多くのファンが飛騨古川へ「聖地巡礼」としてここを訪れるようになっています。
アニメの中に登場する場面と全く同じ風景をぜひ探してみてください。
古川祭でも高山祭に比べると知名度と規模においてはやや劣りますが、高山祭に負けないほどの絢爛豪華な屋台が並びます。
「君の名は」で登場する神社のモデルともいわれる気多若宮大社の祭礼で毎年4月19日、20日にご覧いただけます。
古川祭の見どころは、祭りの1日目の夜に行われる「起こし太鼓」と二日目の屋台の曳き揃えで、特に「起こし太鼓」高山祭では見ることが出来ません。
「起こし太鼓」とは、数百人のさらし姿の裸男たちが大太鼓をくくりつけた櫓をかつぎ、町中を巡行する行事で、日本三大裸祭の一つとなっています。
古川祭の構成は1日目の日中は9つの屋台が各町内を巡る「屋台巡行」、夜には「起こし太鼓」が行われます。
2日目は主に屋台がメインとなり、全ての屋台が一同に会する「曳き揃え」や「子供歌舞伎」や「からくり奉納」などが行われ、夜には提灯の装飾で屋台が闇の中に美しく浮かびあがります。
また気多若宮神社では神事が執り行われ、獅子舞や闘鶏楽といった催しが行われ、午後になると御神輿行列が神社を出発し、町内を巡って行きます。
屋台は夜になる前に再びそれぞれの屋台蔵へと戻りますが、御神輿は町内の御旅所とよばれる場所翌日まで安置されます。
起こし太鼓
「起こし太鼓」とは「目覚まし太鼓」とも呼ばれ、本来は祭の開始の合図として本祭の前日の深夜に太鼓を打ち鳴らして回ったものですが、古川ではこの行事の激しさが増し、ついには独立した一つの行事と変わって行きました。
この行事は数百人のふんどし一枚の男たちが参加し、大太鼓の担ぎ手たちと12の小太鼓の担ぎ手たちに分れ、争いながら街中を巡行する非常に荒々しい祭りです。
大太鼓の担ぎ手は毎年抽選で決まった組が担当し、「付太鼓」と呼ばれる小太鼓をその他の組がそれぞれ担当します。
小太鼓にとって、起こし太鼓のやぐらの後方の最も近い位置に付けるのが名誉とされており、大太鼓を警護する者たちとのせめぎあいや小太鼓を担う組同士の争いが観客たちを魅了します。
古川の人々は古くよりその気性の激しさが「古川ヤンチャ」と呼ばれるほど有名で、この行事ではその気性が頂点に達し、けが人も続出するため、付太鼓が禁止されたことも幾度となくありましたが、現在ではその激しさこそがこの祭りの楽しみとなり、喧嘩祭としても有名になっています。
この大太鼓と小太鼓の攻防はすぐ近くで行われるため、その迫力たるや見るものを圧倒しますが、巻き添えになってけがをする人も後を絶たないので、見学する際は十分に注意して、全て自己責任でご覧ください。
またこの攻防とは別に各小太鼓の組が小太鼓を括り付けた3mほどの棒の先に腹をのせるパフォーマンスもお見逃しなく!
8日目(4月20日):古川祭2日目
8日目の行程
【高山】 ---- 【飛騨古川】(終日自由行動)---- 【高山】
高山ー飛騨古川間往復切符はツアー代金に含まれます。
屋台曳行、屋台曳き揃え
高さ6メートルを超える9台の屋台が町内を巡行し、この日に全ての屋台が一同に集結します。
一台当たり数億円かかる絢爛豪華な屋台が並ぶ姿は圧巻です。
各屋台ごとに異なる見事な装飾は観光客を魅了してやまず、高山祭の屋台と比べても全く遜色ないことが分かって頂けるでしょう。
また各屋台に施された微にいり細を穿った彫り物はまさに「飛騨の匠」の技が結集されており、その洗練された技術に感嘆を禁じ得ないことでしょう。
青龍台と麒麟台と呼ばれる2つの屋台ではからくり人形を備えており、その実演をご覧いただくことが出来ます。
白虎台と呼ばれる屋台には舞台が備え付けてあり、そこで子供歌舞伎が実演されます。
また初日同様に御神輿行列や獅子舞もご覧いただけます。
夕方ごろになると提灯で飾り付けられた屋台が夜の町を曳行され、町は賑やかな夜祭の雰囲気に包まれます。
日中とはまた趣の異なった屋台をご覧いただけることでしょう。
是非お祭りを最後までご堪能下さい。
9日目(4月21日):高山~白川郷~金沢
9日目の行程
【高山】---- 【白川郷】 (展望台案内後、自由散策)---- 【金沢】
※白川郷展望台往復シャトルバス代はツアー代金に含まれます。
午前中高山市内を出発。高速バスで白川郷を目指します。
白川郷
飛騨地方の岐阜県白川郷荻町集落と富山県五箇山相倉集落、菅沼集落は「白川郷・五箇山の合掌造り集落」としてUNESCOの世界文化遺産に登録されています。
白川郷はこの三集落の中で最大規模の集落で、世界遺産地域の3分の2を占め、住宅も合計60棟あります。
日本語では単に「歴史的集落」ではなく「合掌造り集落」という名で登録されていますが、合掌造りというのはこの世界遺産地域独特の茅葺き屋根の事を指します。
「合掌造り」とは日本の建築様式の一つで、豪雪地帯で用いられることが多く、丸太を交互に組み合わせてその上に茅を葺いた屋根があたかも合掌しているかのようであることからこの名前がつけられました。
屋根の上に雪が積もりすぎて家がつぶれる事のないよう、また雪下ろしの作業の負担を軽減するため、屋根が鋭角になっています。
これにより出来た広い屋根裏スペースは、この地方の主要な産業である養蚕業の養蚕棚として使われていました。
そして養蚕業が発展するにつれ、屋根裏スペースをより確保するため、屋根の角度もより一層鋭角になって行ったと言われています。
屋根には一切の釘が使われておらず、縄で固定され風雪に負けない柔軟で強靭な構造になっており、家の向きや窓の位置なども日の当たり具合などが十分に計算されて作られており、先人たちの知恵が詰まった合理的な建築様式となっています。
茅は一度葺いたら30~40年は持ちますが、風雨や雪で痛むため、年に1~2回の補修作業をしなければなりません。
屋根の全体の葺き替え作業は大仕事になるため、村人総出で行われました。
19世紀末にはこの建築様式を使った家屋は2000近くありましたが、それでも日本において非常に珍しいかなり例外的な様式でした。
過疎化やダム建設による村人の退去等の理由で多くの村がなくなりましたが、豪雪地帯な上に交通の便が悪く、半ば都市部と断絶された環境が幸いし、完全に消滅することなく一部の集落が残りました。
そしてやがてこの特殊な集落と田舎の田園風景の保存へと向けた動きが内外から出てくるようになり、ついに1994年に日本で4番目の世界遺産として登録されました。
現在では多くの観光客が訪れる人気の観光地である一方で観光地化に伴う土産物店や食事処などの増加により、本来の牧歌的で静かな山村の景観が失われつつあることが懸念されています。
夕方ごろ金沢到着
宿泊ホテルは繁華街徒歩圏内ですので金沢の夜をごゆっくりお過ごしください。
10日目(4月22日):金沢
【午後】金沢市内自由散策
※ 金沢市内バス一日券、忍者寺拝観料はツアー代金に含まれます。
金沢
~優雅な芸術と文化の町~
北陸地方石川県の県庁所在地である金沢は江戸時代の最大の大名の領地の城下町として発展し、当時は東京、大阪、京都の三都に次ぐ人口を誇りました。
「加賀百万石」と呼ばれて人々や他大名たちからその繁栄ぶりを称えられており、主要な街道から外れているにもかかわらず独自の優雅な文化を築き上げました。
大きな戦乱に巻き込まれることもなく、第二次世界大戦でも空襲を受けておらず、昔の風情ある街並みが今も残っています。
また金沢の歴代藩主が文化事業を奨励したため、多彩な伝統文化が受け継がれ今も息づいています。
《兼六園》
日本三名園の一つとして知られ、ミシュランガイドでも3つ星評価を与えられている回遊式日本庭園です。
四季折々に様々な表情を見せ、春には桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪吊り(樹木を雪害から守るための技術)のほか季節ごとに様々な花を見ることもできます。
兼六園は金沢城付属の庭園であり、小高い丘に作られているにも関わらず多くの池があり、園内全体に水路が張り巡らされ、庭園内の樹木やオブジェと見事な調和を見せています。
《21世紀美術館》
主に1980年以降の現代美術にフォーカスを当てた美術館で、現代新鋭芸術家の企画展示を行っています。
現代美術展示の為、展示する芸術家の知名度は低いが、いずれは名が広まるだろう芸術家に注目する点は未来への先行投資といえるでしょう。
21世紀美術館の設計を担当し円形で地上一階地下一階で全面ガラス張りの独特の建築でイタリアビエンナーレの建築部門で金獅子賞を受賞した建築家ユニットSANAAが良い一例といえるでしょう。
現在、SANAAはパリの老舗デパート、サマリテーヌ・ドゥ・パリ改修の際のデザインを担当しています。
《忍者寺》
妙立寺というのが正式名称ですが、内部に施された仕掛けの数々がまるで忍者のからくり屋敷のようなので、忍者寺の愛称で親しまれています。
実際に忍者がいたわけではないのになぜこのようなお寺が出来たかというと加賀藩が置かれていた立場があります。
加賀百万石と呼ばれ非常に力を持っていた加賀藩は幕府から警戒されていました。
ですが大っぴらに防衛を固めることは出来ないので、幕府にバレないようにお寺に仕掛けをほどこし、緊急時の出城的な役割を与えたのです。
内部は完全予約制で、お寺のガイドさんが様々な仕掛けを説明しながら紹介してくれます。
《ひがし茶屋街、にし茶屋街、主計町茶屋街、長町武家屋敷跡》
戦争などに巻き込まれることが少なく、江戸時代以来、比較的平穏で昔ながらの街並みを今に伝えています。
立地的にも京文化の影響を強く受けた雅な文化が発達し、犀川沿いには料亭や舞妓や芸妓などが働く歓楽街も発達しました。
なかでもひがし茶屋街と主計町茶屋街は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
また上流・中流階級藩士の侍屋敷が軒を連ねる長町武家屋敷跡には土塀と石畳の路地が続いており、かつての情緒ある雰囲気を味わうことができます。
《成巽閣》
成巽閣は国の重要文化財に指定されている建物で1863年江戸時代から明治時代への移り変わりの激動の時代に建てられました。
加賀藩主が母親の隠居後の生活の為に建てたもので優雅な作りの中にも細やかな気配りが見て取れます。
一階は大名屋敷風の書院造で2階は茶室風の数寄屋造りと2種類の様式が組み合わされており、部屋ごとにテーマが決められて装飾が施されています。
伝統的な建築の中にも当時最先端だった西洋のモダンな要素を取り入れ趣を沿えています。
《金沢城公園》
金沢城は加賀百万石を治めていた前田氏の居城です。
現在見えるものは20世紀の終わりに復元されたもので、もともとあった城の大半は18世紀後半の大火災に遭い焼失し、19世紀後半には陸軍の施設が置かれ、戦後は大学のキャンパスとして使われました。
本丸こそ復元されていませんが、櫓や門、施設の配置や構造などをなるべく史実に忠実に再現しています。
特に石垣の石組みの技術は高く、様々な時代の様々な様式の石垣を見ることができる為、別名「石垣の美術館」と呼ばれています。
11日目(4月23日):金沢
11日目の行程
金沢延泊ご希望のお客様は予約フォームよりお問い合わせください。
午前中 金沢を出発し特急サンダーバードで京都へ向かいます。(2時間強)
京都到着後ホテルに荷物を預けた後、公共交通機関を利用して京都市内観光。
三十三間堂、清水寺、八坂神社、祇園、四条河原町等。
※京都市内バス地下鉄一日乗車券付。ただし寺社仏閣等の拝観料は各自払いとなります。
添乗員同行は11日目京都市内案内後終了となります。
翌日以降は各自で自由に散策をお楽しみください。
12日目(4月24日):京都
【京都】終日自由散策
- 金閣寺
- 竜安寺とその枯山水庭園
- 銀閣寺と哲学の道
- 二条城
- 伏見稲荷神社(稲荷駅)
- 平等院(宇治駅)
13日目(4月25日):京都
お気を付けて旅の続きをお楽しみくださいませ。
京都でご延泊をご希望のお客様はご予約フォームのリクエスト欄にその旨をご記入お願いいたします。
また京都から東京またはその他の都市への新幹線チケット及び関西国際空港へのリムジンバスの予約なども承ります。
ツアー終了後のお勧め観光スポット
日本三景のひとつ、京都の北部に位置する天橋立。ケーブルカーで傘松公園まで行き、そこから眺めます。全長3.6キロメートルの砂州である天橋立は、8,000本以上の松並木で覆われています。大自然がつくった橋をのんびりと巡るのは、楽しいひとときとなるでしょう。
天橋立が別名「天の浮橋」とも呼ばれるゆえんは、頭を下にして脚の間から見てみると、まるで天に向かって橋がかかっているように見えるからです。
天橋立に行ったなら、808年に建立の智恩寺と傘松公園に近い成相山の山頂にある成相寺にも足をのばしてみましょう。
★比叡山 延暦寺
高野山と同様、比叡山は日本で最も神聖な場所のひとつとされています。延暦寺は天台宗が開かれた寺で、天台宗の総本山として8世紀以来ずっと崇められてきました。1994年に世界文化遺産としてユネスコに登録されています。16世紀には、織田信長による焼討ちにあい壊滅的な被害を受けましたが、江戸時代に入り修復されました。16世紀以前には、延暦寺界隈には3,000もの寺があったそうです。また延暦寺境内にある東塔は、延暦寺の起源となる場所です。
さらに比叡山の延暦寺周辺は、ハイキングに絶好のロケーションでもあります。秋には山の木々が赤や黄色に色づき、春には花々が山に彩りを添える景観が広がります。
★トロッコ列車と保津川下り
京都にあって自然あふれる嵐山は、竹林やモンキーパークで有名なほか、お寺や神社の数の多さでも知られています。
では、嵯峨野にかわいいトロッコ列車が走っていて、京都周辺に広がる美しい自然を楽しめることができるのはご存知でしょうか。トロッコ列車は、別名ロマンチックトレイン嵯峨野といい、保津川沿いの美しい渓谷を走っています。
保津川へは列車で行けますが、遊覧船で川に降りることもできますので、ぜひ、川に降りてみてください。トロッコ列車の終着駅である亀岡駅から保津川下りの遊覧船に乗船することができます。亀山から嵯峨まで16㎞におよぶ保津川下りは、ところどころにあらわれる激流のスリルを味わいながら四季折々に変化を見せる自然を楽しむことができます。
参加条件(対象、その他)最少催行 |
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注意事項 |
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金額に含まれるもの |
:朝食×12、昼食×1、夕食×2
:東京2泊、渋温泉(五つ星)1泊、善光寺(宿坊)1泊、松本1泊、高山3泊、金沢2泊、京都2泊
※幼児/子供料金はお問い合わせください。また3名一室ないしはそれ以上でご宿泊をご希望のお客様はお問い合わせください。ただし、客室設備または空室状況によりましてはご相談に応じかねる場合もございます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金額に含まれないもの |
※ツアー出発前日までのご宿泊やツアー終了後の延泊をご希望の場合はお問い合わせください。 |