長崎にヨーロッパの影響をみる

2018年 09月14日


長崎は国際的な影響を受けた独自の文化を作り上げた歴史を持つ町です。16世紀、17世紀には長崎は、ヨーロッパ人が海外での獲得品を求める重要な港のひとつでした。特にポルトガル人の与えた影響を長崎で感じることができます。中国での商売を終えてから長崎に渡る、という人たちでした。ポルトガル人は中国で絹を買うことが多く、次にそれを日本で金と変えたり、あるいは武士の甲冑や布地と交換しました。長崎は16世紀には日本で一番カトリックの影響を受けた場所でした。ヨーロッパ文化の到来により生まれた教会や大聖堂は日本の風景にいまだ溶け込んでいます。長崎には日本で最も大きな大聖堂である浦上天主堂があります。ロマネスク様式の建築であり、徳川時代にキリシタンの弾圧を受けたキリスト教徒に敬意を示すために建造されました。第二次世界大戦のときに原爆により破壊されましたが、以前の姿と同じように再建築されました。マリア像は奇跡的にも爆弾に破壊されることがなく、今日もその同じ姿をとどめています。大聖堂の近くには追悼のための公園があり、平和記念像の指は1945月9日の悲劇を忘れないよう、天を指し示しているのです。平和公園には原爆資料館があり、被害者を追悼しています。
 町の南には大浦天主堂があります。江戸時代末期に建てられたゴシック様式の建造物で、こちらもまた浦上天主堂と同様、1945年以降に一部修復されています。この教会は1597年に殉教させられた26人のキリスト教徒を悼むために建てられました。日本で最も古い教会のひとつで大変美しい建築です。
 この宗教建造物の建造物に見られる以外にも、イベリア半島の影響は食べ物にも顕著に見ることができます。長崎では美味しい「カステラ」をご賞味いただくことになるかと思いますが、これはスポンジケーキ的なものですが、ポルトガルからの使徒が16世紀に持ってきた「カスティリア(スペイン中部の古王国)のパン」を現す言葉からきたものです。また同じ時代に天ぷらの作り方が伝えられました。天ぷらはポルトガル料理のレシピから生まれたもので、魚やエビの揚げ物で、そば(そばの実の麺類)と一緒に食べることが多いです。天ぷらは長崎で大評判となり、日本全国で食べられるようになりました。